【阿蘇中部地区】
平成28年5月20日(金)、阿蘇郡市医師会館におきまして「第1回 中部地区幹事会」が開催されました。
<第1回 中部地区幹事会>
1.平成28年熊本地震後の「阿蘇市・産山村」の現況報告
①阿蘇保健所より
会長が保健所長である「阿蘇地域災害保健医療復興連絡会(ADRO)」が設立された。
医療ニーズや保健ニーズの情報収集、調整目的で設置。
みなし仮設住宅が開始されている。
5/12より災害本部、事務局は保健所に異動している。今後、熱中症対策などを考えている。
②災害人道医療支援会(HuMA)チーム及び阿蘇市より
<災害人道医療支援会(HuMA)チーム>
「認定特定非営利活動法人 災害人道医療支援会(HuMA)」は、ADROの阿蘇支部の一員として活動している。
ADROの事務局会議は月水金で開催されている。
HuMAは巡回診療を多くのチームとともにしてきた。
阿蘇市の避難所を3つに集約した。
ADROが撤収したあとに医療を引き継ぎしていきたい。
医療ニーズ自体は全体的に減少している。
<阿蘇市>
避難している人は昼間に約100人程度。
水曜日に罹災証明の発行が終了した。
医療・保健等支援チームにこれまで多く来て頂けた。
今後、保健師は宮崎チームが5/21で終了、HuMAが5/26で終了。
③産山村より
産山村ではライフラインがなんとかつながっていたのが幸い。
電気は大分県側からの提供があった。水道は役場職員で夜間を徹して断水を免れたのが大きかった。
避難所については5か所あり、現在も常時開放しているが避難者はゼロである。
避難所の長期滞在は健康被害が懸念されるので、残っている人、障害者については概ね10組臨時の避難場所に入ってもらっている。
旧山鹿小学校跡地に仮設住宅建設予定。
自宅は不安があり、車中泊がまだあるが、全体人数把握が困難。死者はいなかった。けが人が出たが医療者が対応した。
罹災証明書は全て発行できた。
④各団体より
・阿蘇郡市医師会
今後、梅雨の時期、57号が復旧していないので、物流についても懸念される。
・阿蘇郡市歯科医師会
口腔ケアに関しては歯科衛生士会とともに避難所を巡回した。現在は避難所に巡回はしていない。なにかあれば保健師より連絡を受ける予定。
南阿蘇村に歯科チーム、立野地区の方が避難しているところには鹿児島県歯科医師会のチームが派遣されている。現状では診療所で対応していく。
阿蘇在宅医療システム研究会としては、中部として会議を行っているが、南部でもこの会議を開催したらどうか。
災害関連死が2名。感染症は少ないが、夏にかけて感染症が増える懸念がある。上下水道の整備が必要。
・阿蘇郡市薬剤師会
地元のフォローをした。道路状況が悪いため、専門病院への患者フォローが必要となってくる。
かかりつけにかかれない患者のフォローが必要。
服薬フォローをやっているが、発災後に内服できず脳梗塞発症し、入院した患者がいるのは反省点。DMAT、医療チームにはかかりつけ医療をお願いしていた。
24時間連絡ができる薬局も機能再開をしたので周知徹底したい。
避難所の運営などが気になる。避難所で生活している人のフォローが必要になってくる。
衛生管理も保健師が担当しているが、そこで生活する人たちに分担を決めてもらって、自分たちでやってもらい、保健師に最終チェックをしてもらうのがよいのではないか。
今後の情報共有をどうしていくのか。
・阿蘇地域リハビリテーション広域支援センター
阿蘇市内のスタッフでチームを組んでいる。
初期はエコノミークラス症候群対策の体操を指導。後半は個別指導。現在の活動時間は短縮傾向。
環境整備を整えている。
・熊本県栄養士会阿蘇地域事業部
阿蘇の栄養士会はすぐに連絡をとったが、給食施設に勤務していて、すぐに災害対応できる状況にはなかった。
ADROの会議に5月連休までは参加できたが、ライフラインが途絶えていて、他県の栄養士に依頼していた。
2週間くらいは栄養士の必要性はなかったように感じる。
避難生活が長期化し、栄養状態の悪化に伴い、栄養アセスメントをとり、対策を考えている。
物資の手配については、福岡県の栄養士会に連絡し、物資を届けてもらい、学校、特定栄養施設に物資を輸送した。単独で判断して行った。
現在はADROの会議に出ていないので現状把握ができない。
透析患者などに対しては個別に対応している。
・阿蘇郡市医師会立中部訪問看護ステーション
職員の人数が少なく3.5人くらいで運営している。自分たちも被災したため、利用者のみの訪問となった。
ほかの支援チームに応援要請したかたちになった。今後はフォローしていきたい。
阿蘇地区では訪問看護ステーションが3か所ある。
5月の中旬に保健所で会議予定であったが、中止になり今後の方針について検討できていない。
・熊本県介護支援専門員協会阿蘇支部
利用者への安否確認をした。連絡がとれない人に対して阿蘇市役所に連絡して、地元の消防団の人が一緒に捜索してくれた。
緊急連絡先を担当ケアマネが把握していたことで、スムーズに連絡ができた。
電気が通じず、ファックスが使えず、担当ケアマネが出勤できず、基本情報が常時使える状態であることが必要と思った。
他地域からの支援で成立した。南阿蘇は大丈夫だったが西原村はひどいと聞いているが把握できていない。
・阿蘇医療センター
機材の破損はあったが、医療機能としては保てた。
被災者の人が最大200人くらい駐車場や廊下に宿泊していたときがあった。
近くの避難所が開放され、そちらに移動してもらって病院運営をした。
重症者もいたので、軽傷の方は自宅に帰ってもらったりした。
今後は南阿蘇の透析患者、施設患者の転院先等の調整が課題。
2.今後の対応等について
ADRO撤退後の連携や会議等はどうなるのか。
→ADROがなくなったときに、この会議(阿蘇在宅医療システム研究会)がその機能を担うのかということに対して、支援したいが、自分たち被災し、勤め先もあるため、この会議でADROの後継というのではメンバーの検討が必要ではないか。職種的には同じようになるのと思うが、この会議のメンバーそのまま引き継ぐのは困難と感じる。阿蘇在宅医療システム研究会はADROを引き継ぐ会議としてではなく、必要なところに必要なサービスを提供できる態勢づくりのために密な連携をとっていくための会議としたい。メーリングリスト等を活用してお互いに意見を言える環境を整えたい。
3.その他
メディカルネットワークの研修があったが、こういう状況下なので延期。